頑張りすぎた公務員が休職して気づいたこと 〜心をすり減らしていた“いい人”な自分〜

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こんにちは、ごんです。

このブログ『よりみち日記』にお越しいただきありがとうございます。

前回は簡単な自己紹介と、このブログを始めたきっかけについてお話ししました。 今回は、そのきっかけにも繋がる、私自身が数年前に経験した「休職」という出来事を通して気づいたこと、特に「頑張りすぎてしまう自分」や「“いい人”であろうとしすぎて、心をすり減らしていた自分」について、少し正直にお話ししたいと思います。

もしかしたら、今同じように苦しんでいる誰かの、ほんの少しでもヒントや、よりみちのきっかけになれたら嬉しいです。

「ちゃんとしなきゃ」が強すぎた自分

まず、少し昔の話をすると、私は地方の市役所で働く、どこにでもいる公務員です。
すごい学歴があるわけでも、特別な資格があるわけでもありません。

周りからは「すごく気が遣えるね」「周りが凄く見えているよね」「仕事できるね」と言って貰えることもありましたが、私自身は全くそんなことはないと思っていて、「それができて普通」「いや、まだ全然できていない」と感じていました。
それは、自分が「いい人」と思われたい気持ちや、「周りに迷惑をかけてはいけない」と強く思っていたからかもしれません。
みんながうまく仕事が回るように、と常に考えていました。

「このままじゃ嫌だ」と感じ始めた日々

そんな私が、なぜ「このままじゃ嫌だ」と感じるようになったのか。

当時の日常は、正直、異常だったと思います。
定時は夕方のはずなのに、実際に家に帰り着くのは23時や深夜0時が当たり前。ひどい時には朝の4時に帰宅して、シャワーだけ浴びて数時間後にはまた8時には職場にいる…そんな日も、珍しくありませんでした。

妻が起きて待っていてくれる優しさに、感謝よりも「申し訳ない」という気持ちが先に立ち、食事やお風呂も、なんだか無気力にただこなすだけ。そして、わずかな睡眠時間の間も、頭の中は決まって今日終わらなかった仕事、明日に持ち越してしまったタスクのことばかりが巡り、心が休まる暇もありませんでした。

職場では、締め切りが異常に短い調査や、絶対にミスが許されない重要な業務が、まるで息つく暇もないように毎日押し寄せてきました。「今日一日が無事に終わった」という達成感や安堵感はほとんどなく、頭の中は常に仕事のことでいっぱい。週末を楽しみに待つという感覚すら麻痺していて、むしろ土日のどちらかは家で仕事を持ち帰って片付ける…そんな状態が、いつの間にか当たり前になっていたんです。

「この職場で、この働き方を続けていいのだろうか」という疑問と同時に、言葉にするのが難しい、どんよりとした「虚無感」のようなものも、心の底に澱のように溜まっていきました。

仕事を引き継いだ際に前任者から繰り返し聞かされた不安を煽る言葉が、ずっと脳裏から離れなかったこと。本来二人で担当していたはずの膨大な業務量を、その年は私一人で抱え込み、捌いても捌いても終わらないと感じていたこと。上司に相談しても「誰かに振れないか」と言われるだけで、具体的な改善はなされないまま時間だけが過ぎていく…。

そんな日々の積み重ねが、私を「このままじゃ嫌だ」という気持ちにさせた大きな原因だったと思います。

でも、じゃあ何をしたらいいのか? 何かを変えたいと思っても、その方法がすぐに見つかるわけではありませんでした。

心と体が悲鳴を上げた日

限界は、ある日突然やってきたわけではありませんでした。

その年の春、全く畑違いの部署へ異動。慣れない業務へのプレッシャーを感じる日々でした。
追い打ちをかけるように、結婚式の準備も大詰めを迎え、さらにはコロナにも感染してしまい、十分な引き継ぎもできないまま、新しい仕事がスタートしてしまったのです。

前任者たちが二人で分担していた業務量を一人で抱え込み、日中は腹痛や不眠、原因不明の難聴といった体のサインを無視し続けました。そして、夜になると限界が訪れました。帰宅後の夜、寝ている途中に激しい腹痛で目覚め、トイレで意識を失う(失神する)ということを、毎月のように繰り返すようになってしまったのです…。

社会人1年目に経験した、心無い上司からのプレッシャーで失神した時の記憶も蘇り、「また繰り返してしまうのか」「自分は弱い人間なんだろうか」という恐怖もありました。そして、ついに心と体が限界を超えて悲鳴を上げ、休職という選択をせざるを得なくなりました。

休職して、初めて自分と向き合った

休職が決まった時、正直「これで少し休める」とホッとした気持ちと、「周りに迷惑をかけてしまう」という罪悪感、「これからどうなるんだろう」という将来への不安、そして「結局、自分はダメだったんだ」という自己嫌悪…いろんな感情がごちゃ混ぜになって押し寄せてきました。
特に、自身も大変な状況だったはずなのに、いつも「あなたの体が一番大事だから」と言って通院にも付き添ってくれた妻には、感謝と同時に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

一方で、実の両親に休職を伝えた時の反応は、正直、すぐには理解できませんでした。

「妻が大変になるからやめるべきだ」「もっと考えてからにしろ」…。

なぜそんな言葉が出てくるのか。両親との仲が悪いわけではないけれど、「この瞬間、自分の本当の味方は妻しかいないんだ」と強く感じたことを覚えています。
でも、その時にはもう妻と「何と言われようと、今は休もう。」と話し合って決めていたので、「伝えるだけは伝えよう」という覚悟でした。

もし、これが数年前の両親を悲しませたくないという気持ちが強かった頃の自分だったら、きっと両親の言葉に逆らえず、休むという選択はできなかったでしょう。あの時、無理を押して働き続けていたら、今の自分はどうなっていたか…考えると、言葉になりません。
あの時の自分と、一緒に決断してくれた妻には、今なら心から「よく決断した!えらい!」と声をかけてあげたいです。

人生で初めて、誰かの期待よりも、自分の心と体を守ることを優先できた、大きな一歩だったと感じています。

そして休職期間中、痛感したのは

**「自分の身は自分で守らなければいけない」**

という現実でした。
職場では「大丈夫?」と心配の声はかけられても、実際に誰かが私の業務を肩代わりしてくれるわけではありませんでした。上司も、話は聞いてくれても、具体的な状況改善に動いてくれるわけではない。「結局、自分の心と体を守れるのは自分しかいないんだ」と、そこで初めて腹を括れた気がします。

それと同時に、これまで見て見ぬふりをしてきた自分の「」とも、嫌でも向き合うことになりました。特に、仕事における過剰なまでの完璧主義。それが、知らず知らずのうちに自分自身に重すぎる負荷をかけていたことに気づいたのです。

また、

**「自分を犠牲にしてでも他人を助けなければ」**

という思い込みも、結局は自分も相手も苦しくさせてしまうと痛感しました。
もちろん、困っている人がいたら助けたい。でも、まずは自分の心身の健康、そして自分がやるべき仕事。その上で、余裕があれば手を差し伸べる、その順番が大切だと学びました。
(今でも、つい自己犠牲的に動いてしまう癖はありますが…少しずつ意識しています。)

リワークプログラムに参加したことも大きな転機でした。そこで**「考え方の癖」**という概念を初めて知り、衝撃を受けました。自分はこれまで「完璧主義」や「白黒思考(0か100か)」といった偏った考え方しかできず、それが自分を苦しめている原因の一つだと気づいていなかったのです。性格だけでなく、考え方にも人それぞれ「癖」がある。それを知ったことで、自分を一方的に責めるのではなく、「ああ、これは自分の考え方の癖なんだな」と、少し距離を置いて自分自身を見つめられるようになりました。

リワークプログラムの中で学んだ「完了主義」――まずは終わらせることを優先する考え方を知り、「もっと早くこの考え方ができていれば…」とも思いました。

休職する前の私は、正直に言うと「メンタルクリニックは心が弱い人が行く場所」だと思っていました。高校時代の厳しい野球部経験から、「自分はメンタルが強い方だ」とさえ考えていたのです。だからこそ、自分が精神的な不調で倒れてしまった時、「自分は弱い人間だったのか」と落胆しました。

でも、休んで少しずつ回復する中で、その考え方が大きく変わっていきました。
これは「強い」「弱い」の問題ではないんだ、と。
どんな人でも、環境や状況、ストレスの積み重ねで、心のバランスを崩す可能性はある。生まれ育った環境も影響する。そう理解できるようになり、

**「心の不調は特別なことじゃない、誰にでも起こりうることなんだ」**

と、以前とは全く違う視点を持つことができたのです。リワークで他の参加者の話を聞けたことも、この気づきを深めてくれました。(他の人と比べる必要はないけれど)「自分は本当によく頑張ってきたんだな」と、初めて少しだけ自分を客観的に認められたような気もします。

“いい人”をやめるわけじゃない。でも…

休職やリワークを経て気づいたことを、少しずつですが、日々の行動にも反映させようとしています。その一つが、

**「勇気を出して断る」**

ということです。

正直に言うと、これは私にとって今でもすごく大変な挑戦です。長年の「断れない癖」はなかなか手強い…。でも、「自分が無理をして引き受けた結果、お互いに迷惑がかかるくらいなら、最初からできないと伝えよう」と、少しずつ意識を変えています。どうしても断れない時は、「こちらの仕事となら交換できます」といった代替案を提案してみたり…。まだまだ完璧にはできませんが、これも自分を守り、結果的に周りのためにもなる大切な一歩だと信じて、バランスを取れるように頑張っている最中です。

そして、「本当に大切な人に優しくできればいい」という気持ちも、以前よりずっと強くなりました。
私にとって一番大切な存在は、やはり妻です。
彼女との関わり方を大きく変えたいというよりは、これからも変わらず、穏やかな時間を大切に一緒に過ごしていきたいと思っています。

ただ心配なのは、最近、妻も仕事が忙しく、私が休職前にそうだったように、夜遅くに帰ってくることが増えていることです。あの頃、妻が私にかけてくれた「早く帰りなよ、体調崩しちゃうよ」という言葉の重みと、その時の彼女の気持ちが、今になって痛いほど分かります。だからこそ、これからは妻の心身の健康も今まで以上に気遣いながら、お互いを支え合っていきたいと、強く思っています。

**「無理しない自分を受け入れる」**

というのも、私にとっては現在進行形の大きな課題です。「疲れている時は断る」「80点の出来でもOKとする」「『べき思考』に気づいたら立ち止まる」…。頭では分かっていても、実践するのは本当に難しい。それでも、以前よりは「まあ、これくらいでいっか」と、少し肩の力を抜ける瞬間が増えた…かもしれません。

このブログ運営も、その実践の場だと考えています。本当は、「今が頑張り時だ!」と睡眠時間を削って記事を書くこともできるでしょう。でも、それはしない、と決めました。ブログも大切だけれど、妻との時間や友人との時間、自分の心身の健康は、それ以上に大切だから。急がず、焦らず、でも着実に。そんな**「バランスの取れた頑張り方」**を、この『よりみち日記』を通して実践し、模索していきたいと思っています。

「逃げても、よりみちしても、いいんだよ」

この休職という経験を通して、そして、もがきながらも自分と向き合ってきた時間を通して、私が今、同じように「頑張りすぎている」誰かに伝えたいことがあるとしたら、それはとてもシンプルなことです。

**「逃げたっていい。よりみちしたって、いいんだよ」**

私たちはつい、「頑張らなきゃ」「ちゃんとやらなきゃ」「期待に応えなきゃ」って、自分を追い詰めてしまいがちです。私もずっとそうでした。でも、時には立ち止まることも、違う道を選ぶことも、遠回りに見えるかもしれないけれど、自分を守り、自分らしくいるためには必要な「よりみち」なんだと、今は心から思います。他の誰のためでもない、あなたの心と体が一番大切です。どうか、自分自身を、もっともっと大事にしてあげてください。

このブログ『よりみち日記』が、最終的にどんな場所になれたら嬉しいか…。正直に言うと、まだはっきりとは分かりません。有名人でもない、特別な経験があるわけでもない、ただの普通の人間が書いている、自己満足の記録なのかもしれません。

でも、もし、このブログのどこかの言葉が、たった一人でもいい、「ああ、自分だけじゃなかったんだ」「読んで少しだけ、肩の荷が下りた」と感じてくれる人がいたとしたら。それは私にとって、望外の喜びであり、このブログを続ける大きな意味になります。

この記事を読んで、あなたがどんな気持ちになってくれたら嬉しいか、それもまだ上手く言葉にできません。でも、もし少しでも「ホッとした」とか、「まあ、明日もぼちぼちやってみるか」とか、そんな風に心がふっと軽くなるような、前向きな「よりみち」のきっかけに、ほんの少しでもなれたとしたら。それだけで、今日この記事を書いた意味があったのかな、と思えます。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

以上、ごんでした。

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